葉桜の季節も紫陽花のシーズンも過ぎて、蝉が主役の座を勝ち取ったのはつい最近のこと。 野球部が県大会の準決勝でまさかのサヨナラを決めて学校中が盛り上がった先週の木曜日。 成績表で一喜一憂しているクラスを見ながら「どうだった?」なんて友達と話したり、 受験生としての自覚を持ってだのなんだの先生が話しているのを聞き流した午前中。 そして、先生のカツラがずれていたのを結局クラスの誰一人言い出せずに終わった夏前最後のHR。 思い出していたら、何だか楽しくなって1人でこっそり笑ってしまった。 「石井先輩何1人で笑ってるんですか」 どうやら後輩に見られてしまったらしい。 それもそうか。彼は正面に座ってるのだから。 「いや、今月に入ってから色々あったなーって思って」 「そうですね。野球部が決勝に進みましたし」 「そうそう!壮行会でのキャプテンがさー」 「あの静けさはすごかったですね」 私たちで言うところの"詰まり"を野球部のキャプテンはやらかしたのだ。 俗に言うカップラーメンができる時間、体育館に訪れたあの空気。 「どうしたんでしょう、あれ」 「順調に終わりそうだったけどね」 『僕たちは全力を尽くし、甲子園へ行って、』 最後の締めに入ったところで、彼はどうしてか止まってしまった。 「まぁそれはいいとして、そろそろプラン最終稿出しましょうか」 カツカツとシャーペンの後ろで本を軽くたたく。 野球部の大会よりも、自分たちの大会の方が大事だ。野球部には悪いけど。 私にとっては最後の大会、彼にとっては先輩になって初めての大会。 3年間ずっとキャストに目もくれず照明一筋でやってきた私を周囲は不思議な目で見る。 部内ではまだ分かってもらえているけれど、クラスメイトなんかは割と"演劇=役者"の式があるみたいで 照明専門っていうと、え?って言われる。それが普通の反応なんだろうな。 「市民ホールはクロスフェーダー有りだから3幕マユコのシーンは余裕で切り替えできるけど、 その後のシンタが出てくる後くらいはちょっとセット忙しいかもね」 「そうっすね。ここでホリの色変えずに緑のままいくとしまりがなくなっちゃいますから」 「じゃぁこのままで頑張りましょう」 「はい。市民ホールもコンピューター導入してくれれば本番中楽なのになー」 「確かにー」 「でも結局仕込みは自分たちでしなきゃいけないんだよー」 副部長で会計の宇津さんちの純ちゃんがいらん茶々を入れて、川上君の後ろにある道具置き場から パイプ椅子を持って私の背後の稽古場へ戻っていった。そこは見ないことにするんだ! こんな人通りの多いところで会議はするもんじゃないな。 川上君と2人の照明係。 今年の新入生は大道具と役者に行ってしまった。 一つ上の代がその2つに集中していて一気に空いてしまったから、妥当といえば妥当な結果。 照明セクションは昨年と顔ぶれが変わらず。 あと音響も去年と同じ面子らしい。(向こうは2年生2人いるから3人だけど) つまりどちらも仕事の継承者がいないという危機に面していたり。誰か勧誘してこないと。 「話変わるんすけど、俺、正直今回あんなに衣装買う必要ないと思うんですけど」 あおいでいた下敷きを丸めて口元へつけると、川上君が小声で呟いた。 傍らにおいておいた缶のふたを開けてレモネードを口に含む。 「ダメになったりしないかなー」 「宇津ちゃんも頑張って計算してんだからそんな不吉なこと言わ・・・あ」 「あ」 ちょっとすいませーんなんて言いながら私たちの横を通った大量の衣装を持った一年の片瀬が 衣装をぶつけて私の愛しのレモネードを倒してった。 川上君から見て左、そして私の右に立っていた缶はこつんと静かに倒れ、中身は机の下に重力にしたがって流れている。 片瀬は足元だけに注意を払っていて、持っている荷物にそんな大変なことが起こっているなんてつゆ知らず。 「うわあぁぁ片瀬ちょっとレモネード!私のレーモーネーエードー!!」 「え?」 「誰か拭くもの持ってきて!あとレモネード!」 「片瀬お前衣装汚してんぞ!あと石井先輩はレモネード諦めてください」 「え・・・あ!うわっ?!あぁ!」 片瀬気付くも、時既に遅し。 騒ぎに気付いた大道具セクションが雑巾やらタオルやらを持ってきて、足元の黄色い池をなくす。 今回使用する衣装で最も金がかかった手触りのよいマユコの白いワンピースは斑に薄黄色くなっていた。 ぬれたタオルを手渡された片瀬が頑張ってこすってるけれど、中々落ちない。 「ちょっとだめ!シミはたたいて落とすの!」 貸して!と片瀬からタオルを奪っていったのは宇津ちゃん。 恐ろしく必死な彼女を、私と川上君と片瀬はただ黙って見ていることしか出来ない。 彼女にとっては部費のやりくりに頭を痛め、その末勝ち取った言わば戦利品だ。 ダメにするわけにはいかない。 「おぉ」 川上君がそう声をあげた。 宇津ちゃんがワンピースを持ち上げてシミの残り具合を確認してるけど、もう残っているようには見えない。 「念のためもう少し手入れしてくるね」 宇津ちゃんは佐藤部長に「ちょっと家庭科室いってきます」と言って、部室から出て行った。 片瀬は出て行く宇津ちゃんに何度も頭を下げ、宇津ちゃんはそれを宥めていた。 それをぼんやり見ていると、不意に宇津ちゃんがこっちを見た。 「香奈ちゃんも次からレモネードの置き場所に気をつけてね」 「はーい。すいません」 騒ぎの後には、ほんのりとレモネードの香りが残った。 「あれは川上君の言霊だね」 「言霊?」 「そう。あんなに衣装必要ないとかダメになっちゃえとか言うからー」 危うく一枚だめになりかけたじゃーん、と私が軽く言うと、 「ホント残念でした」 頑張ったのにな、なんて川上君が何食わぬ顔をしてボソリと言うので なんとなくその先が突っ込めませんでした。 まだレモネードの配置で責められたほうがよかったな。 *  *  *  *  *  *  *  *  *  * すこし季節を外してしまった感は否めない 08/09/24